専門誌『エネルギー・レビュー』の奇跡
『エネルギー・レビュー』という専門誌があるのをご存じだろうか。
私は知らなかった。
近所の図書館で偶然に見つけ、時節("予断を許さぬ状況")柄、手に取った。
巻頭の文章を見て、私は驚いた。
『エネルギー・レビュー』編集部は、その2011年4月最新号において
「当初、「原子力発電所の地震安全」をテーマに特集企画し、編集作業を進めて」
いたのだそうである。そして、
「通常通りの編集作業を行い、印刷工程に入っていた三月一一日、わが国はかつてない国内最大級の東北地方太平洋沖地震に見舞われました」
つまり、大地震の起こる前から、『エネルギー・レビュー』は「原子力発電所の地震安全」をテーマに特集を企画していたのである。しかし、
「本誌は「広く詳しく正確な情報・評論」を標語に掲げていることに鑑み、特集企画を当初の内容どおりに大地震発生直後に発行することは相応しくないと判断し、急きょ内容を差し替えて発行することにした次第です。皆様のご理解を賜れば幸いです」
とのことで、その先見性のある特集「原子力発電所の地震安全」は廃案となり、そして、新たに企画された特集とは、
http://www.erc-books.com/ERC/ER/ER-Main-F.html
特 集 「風力発電は新エネの柱」
であった。
地震・原発・デマ・失業
えーどうもこの勢いじゃ、怖いのは「地震・カミナリ・火事・オヤジ」ならぬ「地震・原発・デマ・失業」だというような・・・
「怖くないヨ」
おや、ズイブン威勢のいい人が出てきたね。アナタ、地震が怖くない?
「怖クナイヨー!!」
大きな声を出すんじゃないよ。
「地震とは『地が震う』と書く」
そうだよ。
「これは、滅多にあるこっちゃないが、ないことじゃナイ。だから、俺みたいに、普段の生活においても」
ホウ。
「常に震えていれば大丈夫」
存分に怖がってるじゃないか。ゆれるだけじゃない、津波も来るんだよ。
「平素の日々において」
また始まったよ。
「常に水の中で暮らしていれば」
魚だねドウモ・・・。原発はどうだい?
「どうか落ち着いて聞いて頂きたい」
何だよ、出し抜けに・・・
「ただちに健康に影響の出る数値ではありません」
嫌だよ、ヒトの目をジッと見て・・・
「まだ、大丈夫です」
ソ・ン・ナ・ニ・手を強く握るんじゃないっ!! 怖ッ! 怖ッ!! 怖いわッ!!!
「怖いよね」
認めちゃったよ!
「東京電力の責任者はみんな髪の毛が真っ白だったよ」
それは、コワくて白いんじゃないと思うがね・・・
「原子力発電なんてモノの理解には、正確な科学知識が必要なんだ。そもそも、知ってンのか、あのネ」
これは是非ウカガいましょう。
「シーベルトとベクレル」
よく聞くね、最近。
「それぞれが、もともと、スウェーデンとフランスの物理学者の名前らしいね」
いいんだよそんな豆知識は。
「ウィキペディアで検索したら、見たこともない学者の顔写真が出てきて、どうしたらいいのかわかんなくなっちゃった」
知らないよ。
「ベクレルは、放射線障害が原因で、55歳の若さで急死したらしいよ」
いたずらに恐怖を煽ってるよ!デマはどうなんだデマは?
「『テレビが流す情報よりも、Twitterで流れる情報の方が、利用者に悪影響を及ぼす』ってのがデマなんじゃないのかね。デマは"ギャー"みたいなもんでネ。"悲鳴だな"とわかるウチは、精神衛生を保つためのテだな、ショウガネエナア、同じテなら募金の方が趣味がイイよ、って、そんくらいなもんだ。竹島は日本の領土だァー!」
それはデマじゃない・・・んだろ?
「よく知らねえんだ」
なんだよ。で、えーと、失業はどうだい?これは怖いだろう。
「失業なんざ怖くねえ、これからは就職しても金は貰えなくなるんだ」
そっちの方が怖いよっ!もういい、お前さんは、一体全体、何が怖いんだい?
「『有能で頼りがいのあるリーダー』が怖い」
もういいよ!
「あと、一杯、『普通の水』が怖い」
みなもと太郎、大瀧詠一、関連メモ
『まんが学特講 目からウロコの戦後まんが史』(みなもと太郎/大塚英志、角川学芸出版)を読んでいたら、大塚英志氏が、<高校生の頃になるとアシスタントというわけでもなかったが>みなもと太郎先生の<仕事場に出入りさせてもらえるように>なり、アシスタント的な、ネタ出し段階でのブレーン的なことをしていた(「はじめに」p3,4)のを知ったのであった。
そこで、ふと、気になって「KAWADE夢ムック 文藝別冊 大瀧詠一」(河出書房新社)をみてみると、やはり、湯浅学氏の似たような体験・・・・・・<七七年のある日>から<大滝師匠>のもとで<ときどき雑用をやることになった>いきさつ・・・・・・が綴られている(「Fussa Struggle 1977 〜ある丁稚奉公の記録」p128)のであった。
ちなみに、
みなもと太郎 1947年生
大瀧詠一 1948年生
であり、
大塚英志 1958年生
湯浅学 1957年生
だそうである。
そうなると、大塚英志湯浅学が、みなもと太郎大瀧詠一のもとに通っていたのは大体1975乃至1977年頃から、ということになる。
そこで、大塚英志氏は<当時は入手さえ難しかったバスター・キートンの映画を見せてもらったり上方落語について教えていただいたり>であり、湯浅学氏は<音楽はもちろん、映画、相撲、野球、落語>、<小さんの「こんにゃく問答」>、<小林信彦>、<マルクス兄弟>などなどを<深夜から明け方まで><おつき合いさせていただく>であった、ようである。
こうして、勝手に関連付けてみると、落語、であったりだとか、鋭い批評眼が隠し味となった実作→表現ジャンル評論、というようなキーワードが浮かび上がってくるような気がして興味深い。
これは、世代論ですかね。
1947、48年生まれというと、他に、ビートたけし、橋本治・・・
九州フェアで龍馬関連グッズを売ることに何の問題もない
人に指摘されるまで気がつかなかったのだが、九州には坂本龍馬に因んだ史跡が多数存在するということなので、つまり、九州フェアで坂本龍馬グッズを売っても何ら問題はないのであった。
と、いうわけで、2010/01/18の記事は、「坂本龍馬=土佐」という公式に何もかも嵌め込もうとする、わたくし(高知県出身)の偏狭な心が生んだ、悪しき郷土主義の産物として、笑って読み捨て置かれます様宜しくお願い申上。
要は、わたくしのような、龍馬に興味関心の無かった人間でさえも、何か言いたくなる福山龍馬旋風ということである。
と、いうか、ごめんなさい。
勉強し直して参ります。
そんなこんなもあって、成増の大型中古本店にて『三酔人経綸問答』を購入(百五十円也)。どんなこんなかというと、坂本龍馬=中江兆民=土佐、という連想がしからしめるところの・・・
しかし、学んだこともあった。
解説によれば、中江兆民(本名篤介)の弟は、名を「虎馬」というのであった。
これ、トラマ、それとも、トラウマ?