みなもと太郎、大瀧詠一、関連メモ
『まんが学特講 目からウロコの戦後まんが史』(みなもと太郎/大塚英志、角川学芸出版)を読んでいたら、大塚英志氏が、<高校生の頃になるとアシスタントというわけでもなかったが>みなもと太郎先生の<仕事場に出入りさせてもらえるように>なり、アシスタント的な、ネタ出し段階でのブレーン的なことをしていた(「はじめに」p3,4)のを知ったのであった。
そこで、ふと、気になって「KAWADE夢ムック 文藝別冊 大瀧詠一」(河出書房新社)をみてみると、やはり、湯浅学氏の似たような体験・・・・・・<七七年のある日>から<大滝師匠>のもとで<ときどき雑用をやることになった>いきさつ・・・・・・が綴られている(「Fussa Struggle 1977 〜ある丁稚奉公の記録」p128)のであった。
ちなみに、
みなもと太郎 1947年生
大瀧詠一 1948年生
であり、
大塚英志 1958年生
湯浅学 1957年生
だそうである。
そうなると、大塚英志湯浅学が、みなもと太郎大瀧詠一のもとに通っていたのは大体1975乃至1977年頃から、ということになる。
そこで、大塚英志氏は<当時は入手さえ難しかったバスター・キートンの映画を見せてもらったり上方落語について教えていただいたり>であり、湯浅学氏は<音楽はもちろん、映画、相撲、野球、落語>、<小さんの「こんにゃく問答」>、<小林信彦>、<マルクス兄弟>などなどを<深夜から明け方まで><おつき合いさせていただく>であった、ようである。
こうして、勝手に関連付けてみると、落語、であったりだとか、鋭い批評眼が隠し味となった実作→表現ジャンル評論、というようなキーワードが浮かび上がってくるような気がして興味深い。
これは、世代論ですかね。
1947、48年生まれというと、他に、ビートたけし、橋本治・・・