黄昏の馬鹿力

(新劇場版ヱヴァンゲリオン「破」の感想の続き) 

 あと、「破」は、挿入歌の挿入の仕方に「お」と感銘を受けた。
 四曲あったから「おおおお」か。
 強弱をつけると「お、お〜、オーーーー!、オーーーー!」か。
 うるさい。
 一曲目はラジオをつけたら・・・という形で流れてきて、二曲目は居酒屋で語り合っている背後に・・・という形。劇中を流れているので、映画の中の人も外の人も共に聴くという形。
 「近未来にはどんな歌が流れるか」にあの選曲は一工夫で、しかもちょっとした一工夫の結果、話が早く(=ストレートに)なったと思ったがどうでしょうか。
 ここで「果たして現代日本にはスタンダードナンバー(を聴く、歌う、という発想、需要)があっただろうか」という考え方をすると、なるほど、エスカレータの細かい溝や電信柱の佇まいと同じ具合に、未来における、現代がもう死んでしまった感じ(遠さ)が表されていたように思われると同時に、意味が変わりつつも同じものが存続しているという感じ(近しさ)も表れているように思わされたのであった。

 三曲目四曲目は大技で、これもしかし大きな技ありにも関わらず、話が単刀直入になって凄いと思った。
 一曲目二曲目が伏線になって(と勝手に思って)いるので、歌が持つおなじみ感が神話的に響く(とわたくしには思われる)

 翌日は一日中、終盤の二曲を口ずさんでいました(脳内気がつくと外で)

 そういえば「ラブ&ポップ」のエンディングが「あの素晴らしい愛をもう一度」だったな〜、と昔のことを思い出す。

 
 タイトルは、元祖・あの曲が流れる、コーナーを有するところの、伊集院光DJのラジオ番組「深夜の馬鹿力」をもじりました。(「現在が死んだ世界に流れるスタンダードナンバー」みたいなタイトルの方が格好よかったかもしれません)


・・・「ヲン」か。(2009/8/4)