「似ている」という発見、など

 私の「似ている」という発見、特に顔に関するそれは、人々の共感をまったく得られナイことが多い。
 一例をあげれば
広末涼子蛭子能収の顔は似ている」
 この真理を発見した時も、興奮に鼻の穴をふくらませ、周囲の人々をつかまえ同意を求めたが、残念なことに誰一人として「そうだね」と言うものはなかった。
 つまり、顔に関する私の「似ている」という発見は、多くの場合、人々の賛同を得られない・・・ばかりでなく、懸命な閲覧諸氏にはお分かりのように、その発見の公表は、大変リスキーであるようなものなのだ。
 ここに披露する「発見」も、あくまでワタクシ一個人の迷妄に基づくものであり、まったく何の一般性もないものであろうことを、事前に固くお断りしておきたい。
 家人につきあってたまにながめているテレビドラマ「鹿男あをによし」に出てくるので、多部未華子という方について、何となく顔を存じてはいたのですが、この間、正面からアップで写っているポスターを駅で見かけた。その時、ついに、私は、天啓を得てしまったのである。

「この顔は、石破茂に似てる!」

 いや、もちろん、人間には背負っている文脈・意味・役割があるが、そこに囚われている限り、顔そのものが有する類似性は決して見出され得ないのであり・・・
 ・・・ごめんなさい。嘘です。全て忘れて下さい。

 えー・・・あと、最近は、倖田來未の発言にとつぜん井上陽水が怒り出したら面白い、と思った。