福満しげゆき『生活』の迫力 福満しげゆきマンガの魅力

 まいった。まいりました。

生活1

生活1

 購入日:2008/01/30

 正直に申し上げると、福満しげゆき先生は、このまま、自伝的作品の制作を主戦場として邁進して行かれるのかなと思っておりました。それが、この度、単行本化された『生活』を読んで、そのフィクション巨編ぶりに、圧倒されかつ目茶苦茶面白がらされました。というか面白い! もし『生活』を読む前の私のところに、一人の男が現れて、
「あなたは、福満マンガ=とても自伝的+時々小粋なフィクション、くらいにお思いでしょうが、これを読みやがれ!」
 と本作品を差し出されたら、グウの音も無く平身低頭恐れ入るしかありません。
 悔しいなあ。
 「アックス」掲載時(「アックス」vol47、2005年10月31日〜)から本作品を読んでいた方々は、メジャー誌での自伝的作風の展開(『僕の小規模な生活』「モーニング」2006年44、47号、2007年13、30〜)を横目に、この<過剰防衛アクション><各人の微妙に「変」なところが炸裂暴走する群像劇><「変な人」が組織化されて巨大になったらまたそこからはみ出す「変な人」の妙味>を堪能していたのか。
 いいなあ。
 それにしても、

(1)「アックス」にて傑作『僕の小規模な失敗』で新境地(自伝的作風)を切り拓く
  ↓
(2) (1)を継承した『僕の小規模な生活』を「モーニング」にて展開
  ↓
(3) 「アックス」にて『生活』で新境地(長編フィクション)を切り拓く((2)と並行)

 という流れは、何気に、いわゆるメジャー誌が後衛に、そして、いわゆるマイナー誌が前衛に、実質的に位置づけられちゃって、これは快挙、のような気もします。
 福満しげゆきマンガといえば、あのキャラクター・・・
 ・・・思いつめたマナザシ、そのタレ目の下に常にクマをタズサえ、丸い顔に細い首、ややぼさぼさっとした髪、迫りくる不安・絶望・焦燥を前に冷や汗を流しながら(主に心の中で)叫ぶ。当たり役は「福満しげゆき」(作者の自画像)・・・
 ・・・が印象的なんですけど、むかーし、そのキャラクター氏の姿が「アックス」誌の表紙になったのを書店でみかけた時に、私は
「これは、ガロ的なものの萌え化だ!」
 と雷に打たれたように、そう、思いました。
 「ガロ的」と言ってしまうと、いろいろ誤解を招くので、言い直せば、「アンダーグラウンドな精神の萌え化」、「自縄自縛に陥りがちな、過剰な自意識の萌え化」とでも言いましょうか・・・
 以来、「萌え」と聞くと、私の脳内では自動的に「東の福満キャラ、西の碇シンジ」の両雄と「男の自意識」について思いが馳せられることとなったのでした。


あと、やはり自分が可愛いのか「僕」のキャラは可愛らしく可愛らしく描く不正があります。
(『僕の小規模な生活』(講談社) あとがきより)

 本作『生活』も、一面では、そんな「因果な自意識」の変奏曲ではあり、そこは、福満しげゆきマンガの独壇場とも言えるでしょう。しかし、こういう「変奏」があろうとは気付かなかった、マイッタ、まいりました。