横山ノックの死について

 私が横山ノックについて知っている事は三つしかなく、以下の通り、全て又聞きである。

 当時、佐藤栄作は苛立っていた。それは、後にノーベル平和賞受賞で立証されるような"善政"をしてやっているにもかかわらず、国民はゼータクな不平をぶつくさ言い、中でも革新と称する甘ったれ議員どもは、あれこれの揚げ足取りをやって得意がっていたからである。それで、栄作は、すこし弱気になっていた。記者会見の時に、「私は、国民から、『栄ちゃん』と呼ばれるような首相になりたい」と、泣き言を吐いたのである。エリート中のエリートの言葉である。家筋よし、学歴よし、実力よし、その栄作にして、この言葉であった。普段から佐藤批判を常としている進歩的な知識人たちが、冷笑を以ってこの言葉を迎えたのは言うまでもない。
 そんな時の国会質疑である。
 社会党のナントカ議員の質問が終わり、佐藤栄作首相が適当にかわし、自民党のナントカ議員の質問が終わり、佐藤首相がにこやかに答え、そして、その次に、横山ノック議員が手を挙げて、一言、
「栄ちゃん!」
 議会は、一瞬の沈黙の後に笑いとどよめきとが満ち、呼びかけられた当の栄ちゃんは、おそらく生涯でもっとも苦々しいだろう顔つきで苦虫を噛みつぶしていた。呼びかけたノック議員は、「あれっ」という顔つき。「どうかしたの」とでも言いたげな表情であった。
 この時、まちがいなく、ノック氏は、後にノーベル賞をもらうことになる佐藤栄作首相に勝っていたのである。少なくとも、一太刀は浴びせていたのである。

 以上、呉智英『大衆食堂の人々』(史輝出版/1989年6月)(題詠随筆-6、山口百恵の発言を論じた文章)より。懐かしいので長々と引用してしまった。
 (そういえば、以前、上岡龍太郎が「あだ討ち復活論」を語っているのをテレビでみた記憶がある。もし上岡氏が呉智英を読んだことがあるとしたら、上記の記述にはどのような感想を持つだろう?)
 続いては、立川談志『談志百選』(講談社/2000年3月)より。

 関西で有名な逸話に、藤山寛美の何回忌かがあって、一同で黙祷をする、という。その挨拶にノック先生何と「えー、これから黙祷を捧げます。私が、黙祷の音頭をとりますから一つよろしく」。

 三つ目は、手元にその書物がないので正確な引用が出来ないのだが、上岡龍太郎氏が「漫画トリオ」時代を語った際のエピソードで、例えば消防署のコントをやる時は消防署に取材に行くというノック氏の方針になぜと聞くと「その方が嘘を演じていても、実際に見ているということが自信になる。嘘だろうと批判されても動じなくてすむ」と答えた、というエピソード。
 横山ノック氏については、観る事も見る事も、実際には無かったが、上記のエピソードから、何となく時折考え事の合間に思い出す存在であった。
 横山やすし横山ノックを「おまえか、このハゲ!」と罵ったという伝説の<あまりにもあたりまえ過ぎる>おかしさも、今後ますます通じ難くなるかと思うと寂しい。
 合掌。