『酒井七馬伝』が面白過ぎて (3)

 <それでも描く>ことの実質・・・と書きましたが、
まあ、誰しも何かしらの行為を、「それが自分にとって柱になるのは当たり前のことだ」と思いつつ暮らしているということはあるわけですが、そういう種類の当たり前とは別に「人は死ぬ」とか「飯を食う」とかいった当たり前もあるわけで、
そんなワケなワケで、前者の当たり前が後者の当たり前を食ったり食われたりという図柄が人生模様を彩るところに、「作家の人生」を読む際の面白さがあるもの哉と個人的には考えるのですが、しかしなかなか、前者の当たり前は「当たり前」として捉えられることは稀であります。
 なぜなら、「私は自分の人生の主人公」と思わナイことが難しいように、「一生涯のほとんどを○○に費やした」の○○にあたるものに不必要に熱い視線を送らナイこともまた難しいからです。
 そういう意味では、酒井七馬氏とは違った形で、本書最大の脇役「手塚治虫」にとっても、<それでも描いた>ことの実質は、今まで触れられることの少なかった領域であったかも知れない、と思いました。
 
 ・・・今回は本書を傍らにおかずややアレなことを申し上げましたので、次回続くとすれば、本書に記載された具体的なエピソードを書き写してみたいと思います。