『酒井七馬伝』が面白過ぎて (2)

 前回のつづきです。

 前回は、本書を手に取るまでの感想を綴っているうちに力尽きてしまいました。
 今回は、何とか「どこが面白かったか」に言い及ぶところまでたどり着きたいものです。
 本書は著者が酒井七馬の墓参りをする描写から始まります。伝記らしい書き出しだと思いながら読んでいたら、やがて寺の住職とのやりとりが始まりそこから故人の身寄り調査の端緒が開かれていくという展開に驚きました。墓参は、伝記の体裁を整えるための表敬訪問ではなく、酒井七馬の人生の軌跡を(まるで細い糸を手繰るように)たどる取材の、第一歩であった、わけで、いかに酒井七馬が知られていなかったかを印象付けられます・・・し、また「歴史の空白が今明らかに!」と興奮もするわけです。
 酒井七馬逝去1969年1月23日、著者の墓参が2005年8月5日、その間、36年(!)、明らかにされる側の酒井七馬(1905〜1969)の時代と、明らかにする側の現代(マンガ研究の最前衛)とのドキュメントは、墓参で始まり○○で終わる(本書P238)という美しい結構を描くわけですが、こういう、まるで必然であるかのように偶然に恵まれるという時の運を綿密な調査が呼び寄せてしまうところがドラマティックというか何というか「うーむ」と唸らせられてしまいます。
 一方、描かれる酒井七馬氏の人生航路は、それなりの起伏といくつかの大きなチャンスを迎えながらも、結局<天下に名を知られる栄光>を、まるで避けているかのように進みます。
 その理由としては、

 (a)大阪に留まり、東京に出なかった
 (b)都会人的なシャイネス(がむしゃらに自分を出そうとしない)、
 (c)(独自に作り出すよりも、既にあるモノの)脚色・再構成(の方が)が巧みだった
 (d)年齢(敗戦の年1945年に40歳)の問題
 
 以上のようなものがあげられると思いますが、本書は、このような氏の性格を嘆きも崇めもせず(それでいて時には氏になりかわりながらも)適切な距離を取って、丁寧に氏の業績と照らし合わせていき、結果<それでも描く>ことの実質に、賛美や非難という偏見に陥らずに、かなり迫ったのではないかと感じました。
 そこに一番驚きました。(まだつづくかも)