『酒井七馬伝』が面白過ぎて

面白い。面白過ぎる。

謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影

謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影

 2月24日に新宿紀伊国屋1Fレジ横のサブカル等置いてあるコーナに平積みになっていたのを購入。
 レジを離れて帰り際に、橋本治のひらがな日本美術史7(最新刊にして最終巻)がこれまた平積みになっているのを発見。「芸術新潮」連載時にパラパラと見た限りでは、確か谷内六郎について書かれた章でマンガに言及していたはずなので、『酒井七馬伝』と『ひらがな美術史』とをあわせて買う、というのは、平成十九年初頭現在の最も正しい買い物であろう、と思いつつ、まあ先立つものがね・・・。
 で、購入した本書ですが、初めて本書タイトルを著者のサイトで目撃した時(その時は現在制作中でしたが)、「これはすごい。出たら絶対買おう」と思っておりました。ただしその時には「本当に出版されるのかな」とやや怪しんでもおりましたが・・・
 何しろ「酒井七馬」ですから。それまでの、私の「酒井七馬」といえば、「手塚治虫の名を天下に知らしめた伝説の『新寶島』の(名前だけの)原作者」「晩年は不遇でコーラで飢えをしのぎつつ結果餓死した」(大泉実成『消えたマンガ家』鴨川つばめの項より)「ちょっと時代遅れなマンガ入門書をものしていたことがある」(とりみきの自伝的マンガ『あしたのために』より)、作品は一篇も読んだことは無し、というようなもので、要は一行豆知識の中の住人だったわけです。
 それを『酒井七馬伝』と銘打たれた時に、つまり「酒井七馬なんだよ」と言われて、「あ、なるほど、酒井七馬かも」と妙に納得してしまったわけです。問題を解く鍵は意外なところにある。その意外さにあたるものが「酒井七馬」という固有名詞にはありました。また「問題を解く鍵は意外なところにある」場合、「意外」は、言われてみれば確かにそんなような気はしていた、という「漠然とした予感の埒内」である(と思う)ことが多いわけですが、その「漠然とした予感」にあたるものも「酒井七馬」にはあって、それは私の場合「古めかしさ」なのでした。
 まとめるとこういうことです。マンガ・ジャンルの生成・発展における問題を解く鍵が「酒井七馬にある」と言われて、「酒井七馬」のマイナーさに意外の感を持ったけれども、そういえば酒井七馬に対して抱いてしまう「古めかしい」という印象の起源を真っ向から分析し文化史上に位置づけられれば、それは、すごい。
 それは、山本夏彦を借用すれば「誰か戦前を知らないか」ということにもなりますが・・・
 そんなところが本書を「読む前の感想」でした。(つづくかも)