浅羽通明『右翼と左翼』(幻冬社新書)

 浅羽通明『右翼と左翼』(幻冬社新書)(2006年11月30日第一版)

 ※2006年12月01日に購入

 あとがきの「それらのどれでもありどれでもない」と述べるに至る箇所が(p252)浅羽通明先生自身の現状報告になっているわけですが、ここのところは同時に、「しかし、私は危険を指摘したい。危険な思想家であり続けたい」(『危険な思想家』1998)の哀切な響き、「だって、犬儒派だもの」(『犬儒派だもの』2003)の軽やかさ、によって表明された呉智英先生の現状(思想的到達地点)の解説にもなっている、と思いました。
 しかし、本当にグッとくるのは、そのあとの、
「世界史を、たとえ高校教科書程度であれ学べば、何がわかるようになるのか。本書は図らずもその回答を提示してはいないでしょうか」
 という箇所(p253)でしょうか。

 ・・・それにしても、栄枯盛衰といいますか、隔世の感といいますか、時の流れの無常さを感じないではいられません。岡田斗司夫先生の「落語」に続いて、『源平盛衰記』ならぬ『右左盛衰記』の一席を誰かうかがわぬものか・・・
 ・・・だれか、『あなたも右翼か左翼になれる』という実践書を書かぬものか・・・
 ・・・『紅白歌合戦』ならぬ『右左歌合戦』はどうか。大トリは三波春夫が、もちろん左で・・・

以上、後半は本書から派生した夢想。