伊藤剛から小林信彦まで(4)

前回からのつづき)

 「キャラの隠蔽」(伊藤剛テヅカ・イズ・デッド』)を「キャラの装填」と言い換えて、勝手なことを考えているわけだが、例えば、『池袋百点会』に登場する「須山さん」というキャラクターについて、著者・つげ義春氏は

これはね、藁半紙に何十個って顔を描いて、なかなか決まらなかった。
(『つげ義春漫画術(下)』ワイズ出版 )

と発言している。「なかなか決まらなかった」とは、物語全体の輪郭の方が先に出来ていてその時点では朧にしか思い描いていなかったキャラクター像を、後で「須山さん」という形に具体化するのに苦心したという意味ではないか、と推測してみるとこれは都合よく私の「キャラの装填」という言い回しに合致しそうな気もする。
 しかしこれはあくまで推測なのであって、あるいはつげ義春氏の直感が「ここでひとつ、いつものキャラクターとは違う、特別な、「顔」のある存在が必要なのだ!」ということを察知し、それが「藁半紙に何十個って顔を描いて」という行為につながった(あるいは行為の記憶かも知れませんが)ということかも知れない。何ともいえない。
 それにしてもこのつげ義春氏の証言を読んだ時には、『池袋百点会』作品内の須山さんの存在感を思い出して妙に納得してしまった。生々しさ(リアリティ)が現世離れした浮遊感のなかでふいに見出されるという傾向のあるマンガ作品をものしたつげ氏は、実作の機微を通じて、「キャラ」の持つ生々しさ・有機性・生命力に触れていた、と、そしていがらしみきお氏も「生々しさじゃなくて生(なま)が見たい」という違いはあったとしてもそれが「キャラ」への通路となった(松本人志氏にもいがらし氏と同じ性向を感じる)、と、私は思う。

 うーん、あまりにも印象の上に憶測を並べ過ぎたが・・・何の話だったかというと、「キャラの装填」で・・・・えーと、もう少し違う例を提示してみたい。

 というところで、木崎ゆきお、というマンガ家の話をしたい。

 木崎ゆきお、というマンガ家を、多くの方は「知らない」であろう。私が氏の存在を知ったのは、後に述べるように、まったくの偶然である。

 新聞マンガ研究所
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~shinbun/index.html
の記事
 「木崎ゆきお」「きざきのぼる」「きさぎのぼる」「木崎征夫」そして「秋里とんぼ」
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~shinbun/notebook/001.html
によると、
木崎ゆきお氏は、六つのペンネームを用いて、「ゴキゲンさん」「あきれたとうサン」「アッパレ君」等の作品(いずれも四コママンガ)を、夕刊三重、苫小牧民報、日本海新聞大阪日日新聞・・・他の地方紙に連載していたそうである。

 上記記事で管理人(新聞マンガ研究所)氏は、木崎ゆきお氏がこのような複数の筆名を操る理由を「さっぱりわからない」と評しておられる。もちろん私にもわからない。
 しかし、なんとなくあるいはこうなのではという推論がないではない。
 実は、木崎ゆきお作品には、作者名よりも他に特筆すべき重要な特徴があるのである。
 といってもその特徴がみられるのは私が知っている限り『アッパレ君』『あきれたとうサン』の二作品間においてのみである。
 私の手元には、1997年2月4日に神戸新聞の夕刊に掲載された四コママンガ『アッパレ君』(木崎征夫・名義)のコピーがある。それによると1コマ目の左上の方で女性社員と語らっているのが「アッパレ君」だと思われる。
 そして、まったく同じ日に奈良新聞に掲載された『あきれたとうサン』(作・きざきのぼる・名義)のコピーもあり、この作品でも1コマ目の左上の方で女性社員と語らっているのが「あきれたとうサン」だと思われるのである。
 もちろん、この二作品『アッパレ君』『あきれたとうサン』は作者が同じであったとしても異なる二つの作品である。しかし・・・
 1997年2月4日という日付で、神戸新聞奈良新聞という異なる二つのメディアに、(わざわざペンネームを変えてまで描かれた)『アッパレ君』『あきれたとうサン』という二作品は、構図も台詞も何もかもがまったく同じなのである。ただ、キャラクターが、一方はアッパレ君であり、一方はあきれたとうサンなだけである。
 「アッパレ君」は、社長のペットが死んだことを知り、ハンカチで涙を拭きながら、社長に何のペットを飼っていたのか尋ねたところ、そのペットが「たまごっち」であることを知り憤慨する。一方、「あきれたとうサン」は、社長のペットが死んだことを知り、ハンカチで涙を拭きながら、社長に何のペットを飼っていたのか尋ねたところ、そのペットが「たまごっち」であることを知り憤慨する、要はまったく同じなのである。構図も台詞(は微妙に違う箇所もあるが)何もかもがほとんど同じで、ただ、キャラクターが、一方はアッパレ君であり、一方はあきれたとうサンなだけである。(よく見ると微妙に社長や女性社員の表情や服の模様が違っていて面白い)
 まあ、ごらん。

 (左:『アッパレ君』1997年2月4日神戸新聞夕刊)
 (右:『あきれたとうサン』1997年2月4日奈良新聞

 私の手元には、1997年2月の『アッパレ君』および『あきれたとうサン』のコピーが5回分あるが、全て上記のような奇妙な相似性を帯びている。
 このような少量のデータで、おそらくは長期連載であったと思われる二作品を語り尽くすことは到底出来ないが、少なくとも、1997年2月における5回分に関して言えば、『アッパレ君』、『あきれたとうサン』という二作品は、神戸新聞奈良新聞という異なるメディアの上で、微妙に異なる同一な物語を、まるでSFにおけるパラレルワールドのように、奏でていたのである。

 このような大変特殊な具体例から結論を帰納するのは何とも心苦しいのだが、まあ、敢えて何か言うならば、このように、あらかじめ出来上がっている物語・設定・環境・アイデアの内に「キャラを装填する」という道行きも又ひとつの現代マンガ道ではあると言い得る、であろう。

 さて、私が木崎ゆきお氏の存在を知ったのは、ある日たまたま「こうしているうちにも、日本全国のさまざまな新聞紙上で毎日無数の四コマが掲載されているんだろうな」という感慨を催して、友人(オキナ)と都立中央図書館の新聞コーナーへ向かいそこにあるだけの新聞四コマ作品を1997年2月3日分のみコピーしたことがあったからである。遠い日の営為に敬意を示しつつ二度と戻らぬ若気に黙祷を捧げたい。


次回につづく)

■タイトルを「小林信彦とマンガ評論」から「伊藤剛から小林信彦まで」に変更しました(2006/7/8)