思い出から歴史へ/植木等と星新一

 植木等氏がこの世を去った2007年3月27日10時41分の4、5日前、3月22日だったか、23日だったか、何気なく鼻歌を歌っていて「なんだっけこの歌」と思ったら・・・ご存知の方は少ないかも分かりませんが・・・、たまの石川浩司さんの『学校にまにあわない』という歌で、これを恐ろしいことに歌詞をちゃんと覚えていて歌えるんですね、高校生ぐらいの頃に聴いてたので。
 でも出だしのところが思い出せなくて「なんだっけなあ」と考えつつ、そればっかり考えているわけではないですから、他のこともしつつ、で・・・翌日子供を連れて近所の公園に行って、そこでまたフンフフンフーンフー♪とやってて、あっ!”百万階建ての・・・”思い出しまして、全部歌えました。
 ちょっと、子供に咎められましたけども。
 「たま」紅白歌合戦に出場した1990年12月31日、植木等氏も同じ白組で『スーダラ伝説』を歌いまくっていました。それでこんな話をしているんですが、私は1973年生まれなので「たま」の方はともかく、それ(1990年紅白歌合戦の舞台)が「植木等を同時代的にみた」と言える唯一の体験、と思います。
 もちろん記録媒体で、中学生の頃、友達の父親のレコード『ゴマスリ行進曲』を借りて聴いたとかオールナイト東宝喜劇映画特集で『ニッポン無責任時代』をみてとか、小林信彦氏や大瀧詠一氏の文章や語りでとか、ありますけれども、そこはどうしても姿勢が「鑑賞」というか「拝見」「拝聴」・・・「学習」というか・・・本当は個人的にはそんなふうには思わないんだけれども「同時代じゃないだろう」と言われてしまうと「いや、そうじゃなくて・・・」という反論の先がどうしても理屈臭くなってしまわざるを得ない。
 でもまだご存命であるうちは同じ空気を吸ってるんだというのが・・・。
 自分の手の届く「思い出」の内にあると思っていたものが、ある日、気がつくと「歴史」の方へ移し変えられてしまって触れることは出来ない。
 個人的にはそういう思い出と歴史との間の前線というか、境界線が動いてしまったと感じました。
 と感じているところへ、植木等の亡くなった3日後の2007年3月30日に『星新一 一〇〇一話をつくった人』(最相葉月/新潮社)という本が発売されるということを知り、結構本格的な評伝のようなので、あの星新一が「評伝」になるとは・・・ここにもまた歴史の波が、と。
 もしやと思い調べてみたら、やはり星新一(9月6日)も植木等(12月25日)も同じ年1926年生まれでした。  
 『夢を食いつづけた男』(植木等氏が父を語った本/朝日文庫)を再読していたので、あわせて『星新一 一〇〇一話をつくった人』を読んでみようと思っています。
 ちなみに・・・
 星新一の父・星一1873年12月25日生。
 植木等の父・植木徹誠、1885年1月21日生。