日本近代史における私の小規模な発見

 唐突ですが、福澤諭吉は1835年に生まれている。

(正確に言うと、天保5年12月12日生まれでこれを西暦に直すと1835年1月10日にあたる、ということであるらしい。書物によっては、天保5年(=1834年)生まれとしているものもある(例えば伊藤整日本文壇史』や山田風太郎『人間臨終図鑑』など)。本論では「1834」では、都合が悪いので1835年生とします)

 ということは、福澤諭吉は、明治元年(1868年)にちょうど33歳であったということになる。
 なぜ、これが、「ちょうど」かと言いますと「ちょうど3のゾロ目だから」ということもありますが、実は、福澤諭吉の全生涯は66(1901-1835=66)であるから「ちょうど半分」にあたるのです。

(ちなみに、この年慶応4年4月に「慶応義塾」という名称が定められている。名称を定めた時期の元号「慶応」が塾名の基になっているわけだから、この時期が数ヶ月遅ければ、「明治大学」になったかも知れない、ということでしょうか)

 近代を代表する人物が、66年(ゾロ目)の半分33年(ゾロ目)目に時代の一大転機を迎える。

 これだけでも十分、鼻の穴を膨らませるに値するが、実はまだゾロ目の因縁は続くのである。

(またまた、ちなみに、西暦1900年は、ちょうど、明治33年(ゾロ目)である。そして夏目漱石は、明治33年に33歳。つまり、福沢諭吉夏目漱石は大体、親子くらいの年の差になる。)

 福沢諭吉が没した年1901年に、これまた、近代を代表だか象徴だかする人物が生まれている。
 そう、昭和天皇、である。

(ということは、福澤諭吉夏目漱石昭和天皇は、親−子−孫くらいの歳の差ということになる。おお、何となく受験にも役立ちそう)

 そして、昭和天皇も、ちょうど44歳の1945年に時代の一大転機(敗戦)を迎えるのである。なぜ、これが、「ちょうど」かと言うと「ちょうど4のゾロ目だから」というのと、実は、昭和天皇の御生涯は88(1989-1901=88)なので「ちょうど半分」にあたるわけなのです。

 近代を象徴する二人の人物の転機と生涯を彩るゾロ目。

 最後の「ちなみに」・・・2桁のゾロ目というのは「11」の倍数になりますが、明治・大正・昭和の期間は、1989-1868=121で、ちょうど、11×11になります。