メモ、メモ
いろいろ考えるそばから忘れていくので、メモして置くか。
【メモ1】
前回記事のなかで、ジャンルとメディアについてちょっと書きましたが、そのあと「ジャンルとメディアといえばマンガだよなあ」と、わりとわたくし的には定番の思考を進めるうちに「隣人論」という変痴気論((C)山本夏彦)が脳内でまとまりましたので、そのうち、文章にしてみたい、と目論んでおります。これは、以前、このブログに書いていた「伊藤剛から小林信彦まで」の完結編になる予定です。
少しメモしておくと、
a. ミクロな(パーソナルな)隣人論:マンガ等のジャンルを通じたキャラと我々との交流の考察
b. マクロな(パブリックな)隣人論:テレビ等のメディアで流通する「有名人」と我々との交流の考察
c. aを伊藤剛氏のキャラ論、bを小林信彦氏の喜劇人論をもとに。
自分で並べておいてなんですが、伊藤剛、小林信彦、両氏が並んでいるのってスゴイですね。
【メモ2】
それにしてもマンガ論の世界もこんなに発展して、まさかここまでの水準に到達するとは思わなかった、という感慨が胸中に去来しつつ師走の街を歩く昨今なわけですが、そういう感慨にどっぷり浸ってみたい。そこで「マンガ論に四度驚く」と題して随想をまとめてみたいと考えました。
今までの人生の中で、マンガ論には、主に以下の四度驚かされています。
(1) 呉智英『現代マンガの全体像』(1986)
(2) 夏目房之介『手塚治虫はどこにいる』(1992)
(3) 『BSマンガ夜話』(1996〜2005)
(4) 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』(2005)
(1)なんて中学か高校生くらいの頃の体験ですから、自分事ながら、興奮しますね。
何かジャンルの、生成発展勃興っていうものは、それが体感出来るとかなり面白いもので、人によってはそれがSFだったりロックだったりライトノベルだったり落語だったりするのでしょうが、マンガ論というのもあるよ、という話です。
・・・まあ、いずれ。