「よさこい」とヤンキー

 宮沢章夫氏がしつこく「よさこい」を嫌っていて、可笑しい。
 http://www.u-ench.com/fuji2/index.html(2006/8/13の日記など)
よさこいが嫌だ」と言うこと自体がまた可笑しさを誘う、という宮沢節が、厳しい残暑に日々を送る都市民の心に束の間の潤いを与えているに違いない。
 とはいえ、世の中には、膝を屈して従わざるを得ない不条理というものもある。高知県人であった私にとって、「よさこい」と「竜馬」はそのようなものだった。小学生時代、担任の指導の下、ゴミ袋でつくったはっぴを着て鳴子片手によさこい節を舞った運動会の思い出を持つ私としては、「よさこいは、しょうがない」と、寂しく呟かざるを得ないのである。
 というようなことを考えながら、夕食後の食器を洗いつつ、よさこい節を口ずさんでいて、ハッと気がついた。
 ペギー葉山に『南国土佐を後にして』(1959年・昭和34年)という歌があって、よさこい節はこの歌のなかに、ちょっと一節という感じで織り込まれているわけだが、この歌の大ヒットにかこつけて、同年に映画『南国土佐を後にして』(そのまんま)がつくられ、これまた好評であった為にシリーズ化され、それがあの名高い、小林旭の渡り鳥シリーズ、であった、とモノの本にはある。
 アキラは空前絶後であるから、人は皆あのように、なれるわけはないので、そのアキラっぽさへの憧れが堕落したり誤解されたりしたものが、ヤンキーの淵源(のひとつ)である、と、ま、考えて、宮沢章夫氏の嫌う「よさこい」のヤンキー臭というものの歴史的背景を垣間見たような気になった宵であった。

(おまけ)高知の某業界が不況になったおり、某企業が倒産しそうになり、(無駄とは思いつつも)役所に陳情にいったところ、
「いま、よさこいで忙しい」
といわれたそうである。