小林信彦『うらなり』 歴史と思い出の間

 先月から小林信彦『うらなり』(文藝春秋)が店頭に並んでいます。今年の初めに掲載誌で読んで「面白い」と言っておりましたが、
http://d.hatena.ne.jp/ni2/20060616
書籍化を記念して、また「面白い」と言ってみたいと思います。

 今回は内容に踏み込んでみますので、未読の方はご注意下さい。

 『うらなり』は、「二人の男がそこにはいないもう一人の男を回想する」という構成が、同じ著者の『悲しい色やねん』に似ています。
 『悲しい色やねん』と響きあうところは、他にもあって、「港での別れがある」とかですね。私は『うらなり』の港での場面、「男」が海に小石を投げたりしているところで、『悲しい色やねん』を思い出しました。(考えてみれば、「うらなり」氏は、結局、港で別れてから、二度と「男」と会うことはなかったわけですね・・・)
 実際に『悲しい色やねん』を読み返してみて「やはり響きあうものがある」というのが個人的な感想でした。

 『うらなり』では、昭和九年から三十年くらい前を振り返るという試みをしていて、しかも振り返るのは「うらなり」氏ですから、読者はそんな主人公の回想を通して、<自分のなかの夏目漱石坊っちゃん』の印象>を振り返ることになります。作品の内でも外でも振り返るという、回想の階層化といいますか、そういうことが行われていて、そうすることで歴史の範疇にあるような情報(明治末から昭和初年にかけての事供)が肉感的に迫ってくる、ということを可能にしている、と思いました。その結果、「昭和九年という現在」が描かれるわけです。過去は確定したものと捉えられがちですが、その当時を生きる人にとっては、半ば確定しつつ半ば不確定な(今の我々が生きているのと同じような)「現在」なわけで、とはいえそのような「過去という現在」を描くとなるとなかなかに難しい。難しいというか本当は不可能なのでしょうが、そこはフィクションの強みで、しかもちょっとニヤリとさせるような、有りそうで無さそうなエピソードの数々を散りばめつつやっている、つまり、「難しい」というハードルの上で、わりと「愉しそうに」という理想的な形で舞っている、と私は読みました。(ここら辺については、もっと歴史情報に詳しい人からは、苦言が呈される、かも知れませんが)

 情報環境の変化と相まって、歴史と思い出との境界線が激変している、そして、漫然とリバイバル・ブームのようなものが蔓延している、そんな今、『うらなり』の方法論に、刺激を受ける人は刺激を受けるでしょう。

 あと、触れておきたいのは、話芸です。
 話芸の演技は、演技者が自分で(その場で)演出するもので、やりようは何とでもなるという自在さと、それなりのレベルになるにはその人なりに何とかするより仕方がないという難しさがあって、それは小説でもそうなのではと、理屈の上ではそうですが、現実にはどうでしょうか、話芸も小説も共に・・・う〜ん・・・という状況がありました。これはお座敷の問題でもあって、話芸の(またはある種の小説の)名演技を炸裂させるような場所は、もうない。もうないけれども、たまたま巡り合わせのように、実現することも、ある。『うらなり』はこれでしょう。
 しかし、日本では、なんで小説を「小説」と呼ぶようになったんですかね。単に「話」じゃだめだったのでしょうか。「小説家」は「話家」でいいじゃないか、「噺家」はプレイヤーという区別で、たまにシンガー・ソング・ライターみたいな感じで、話&噺家がいる、という方がよかったのでは、と、思いますが、どうでしょうか。

 少し具体的に。
 終わりの方で「山嵐」氏が(老いてもなお)やたらおこりっぽいとか、あの「卵の黄身を見ると」ってギャグに笑ってしまいました。
 「うらなり」氏が「ちょっと伺ってよろしいですか」と言ってからラストまで続くやりとりは、コレいいですね、秒数まで図ってるような、で、最後ぴたっと終わる。
 「うらなり」氏がやたらに「わからない」とぼやくのも可笑しい。

 『悲しい色やねん』と違うのは「あいつ」の行方がわからないというところです。このような配慮、優しさによる哀感の深さを、また時間をおいて読み直してみたいと考えています。

うらなり

うらなり