「鉄板ネタ」ではなくて「薄氷ネタ」という言い回しを思いついたのは
ふと、気がつくと、鉄板という言葉は、「鉄の板」としてだけではなく、「絶対に大丈夫な」というような意味でも使われるようになっているのであった。
いわく「鉄板のネタ」(=絶対に相手を笑わせることが出来る、確実に面白い、話題)。
「日本語俗語辞書」http://zokugo-dict.com/というサイトでは「年代 2006年」としてあったが、どうなんだろうか・・・
そういえばこの間、社会人として会社人と会話していて、相手が
「資格を受けるなら、ちゃんと準備して、鉄板で臨んだ方がいい」
と言うのを聞いた(発言者、四十歳くらいの男性)。確実に普及している。
この言い回しで面白かったのは、週刊アスキーでみた
というものである(2008年3月4日発行。通巻676号)。
さて、ここからが本題。
私には「この話、自分には面白いけど、人に面白みを伝えることは難しい」と感じる話がいくつかある。そして、その難しさを押し切ってまで話をしてみたことは、ない、そんな話があるのである。
これは「鉄板ネタ」の真逆、いうならば「薄氷ネタ」である。
人に受けるか否か、いや、そもそも、受けさせようとしているのかどうなのか、誰にも(自分にも)わからない。そんな話は、本来なら、心の片隅にそっとしまっておいて、あわよくば忘れ去られていく、それが本来の姿であろう。
しかし、インターがネットするこのご時世、ここにこうすればいいではないか、と思い当たったわけである。
というわけで、わたくしの話を聞いて頂きたいと思う。はじめに一言だけ、「怖がらせよう」としているのではないことだけ、断っておきたい。
こないだ、会社の昼休みに、定食屋に行って、帰りにスーパーでちょっと買い物したんだけど
レジにならんでいて、まあ、そういう時ってあんまり目を見開いたり耳をすましたりしない・・・要するにボンヤリしてたんだけど
そしたら自分のすぐ前の人の清算で、レジのおばさんが小銭でお釣りを渡しながら
「・・・ごじゅうまんえんになります」
って
言ったような、気が、した、
なんかそんな声を聞いた、ような気が
あくまで、気ですが、したんで・・・
ハッとして、レジのおばさんを見たんだけど、普通の、それも、どちらかというと事務員風なまじめそうなおばさんで、あんまり、そういう「十円」を「十万円」という軽口を叩きそうな人じゃない、
ていうか、スーパーのレジでそういう「人情商店街の八百屋の親父」みたいなやりとり、普通はないだろう、
と、思って、自分の番が来た。
おばさんがバーコードをピッピして、
彼女の口から出てきた値段の表現が
「さんびゃくにじゅうはちえんになります」
普通なんですよ。
間違ってはいない。
で、五百円玉か、を渡したら、
お釣りを渡すときに、帰ってきた言葉が、
「お釣り、が、ひゃくななじゅうにえんになります」
そりゃそうだよ。
ここで「完全に聞き間違えだったな」と思うと、自分でも、まああらかじめ、思ってたんだけど、驚いたことに
「おれがこの地域の住人じゃないからかもな」
と思ってるんだ、少し。
驚いたね。
そうして、おばさんの顔を見ていたら、なんか、わからないんだけど、なんか、すごく、
シミジミしてきたんだよね〜。
で、レシート、渡されて。
そこに「責:峰山里子」って、レジうってた人の名前を最近は記してある、のがあって、それ見ながらスーパーを出て、歩きながら、
「「峰山里子」は覚えておこう」
って思ったんだ。
それを、こうして話しながら、今、覚えている、っていう話。
上記の人名、もちろん今でも覚えてはいますが、文中では仮名にさせて頂きました。
・・・もしも、この話を、あなたが誰かにする時には「って話を聞いたんだけど、その今でも覚えているって言ってた「峰山里子」って、本当に、その名前だったのかな」というオチにする、ってのはどうかな?