事実と思い出とその他のもの  圧巻『日本橋バビロン』

 小林信彦日本橋バビロン』
 (文學界/2007年4月号/3月7日発売/文藝春秋/4月1日に購入)

文学界 2007年 04月号 [雑誌]

文学界 2007年 04月号 [雑誌]

 小林信彦日本橋バビロン』を職場(夜勤)に向かう電車の中で読む(4月3日夕方)。帰りの電車の中でも読む(4月4日朝)。帰宅し布団の中で読み終わる。
(雨。寒いので毛布をかけて)眠り、4月4日夕方に目を覚ました時には圧倒的だったラストの印象から意識が離れていて、ふいに冒頭の挿話(父親の夢)が思い出され、胸を衝かれた。
 本作品は小説と銘うたれているが、去年「en-taxi」(2006年SUMMER/No.14/扶桑社)に「第一部 大川をめぐる光景」が部分掲載された時、私は、随筆・回想録の一種として読んでいた。しかしこの度全編が著されてみるとなるほどこれは小説だと思う。
 生まれ育った街・日本橋が、祖父−父親-著者の関係を軸にして綴られていく、文献・資料、関係者の記憶・発言を踏まえた、その綿密な筆致は、確かに一見「小説のよう」ではない。しかし適確に掬い取られた事実と思い出との合間に、さりげなく挿みこまれた構想「・・・ではないだろうか(もし・・・だったら)」が要となることでこの物語の扇は開かれ閉じられる。この構想(着想、想像、内面的真実)の鮮やかさ、年を経た生き物のような生々しさは小説においてこそ、よくその四肢を伸ばし生命を保つものである。
 また逆にいえば、要の部分さえおさえておけば、あとはどのように語ろうと(評論家のように、エッセイストのように語ろうと)かまわない。あえてぎこちなく「小説家のよう」に振舞う必要などない。その合理的で柔軟な姿勢が、もの語りの内に高密度な情報と陰影に富んだ主観とが共存することを許している。通念の檻の中でのみ旺盛な精神活動の営みが許されるという<不自由な自由>に抗い続けた著者の面目躍如と言うべきか。また、この語りによって描き出されたいくつかの事柄は他の方法では再現できない。例えば、自身の幼少時代から学生時代を語りながら、「小説家」「評論家」になることの必然性をさりげなく相対化してしまう箇所がある。そのようにして、何かである前の何者かを、現在に至る前に眼前にあった時間を、不思議な客観性をもって、描き出すことに成功している。
 通念と言えば、著者の小説は「笑い」と「泣き」とに分けられ、近年は後者に比重が掛かっている(だから手放しで賞賛出来ない)という説がある。『うらなり』が前者(笑い、パロディ、虚構性)への期待を予想もしなかった形で実現した快作であるとすると、『日本橋バビロン』は、後者(泣き、しみじみ、人生的文学)に対する予断をこれまた思わぬ方向から覆した逸品であると思う。ただし、陰惨に響きやすい後半部に登場するキャラクター(非人情な親戚)の<別の世界に居る感じ>は、喜劇的とまで言えるかどうかは分からないが、それに近い効力(黒い笑いがもたらす働きに近い効力)を発揮し、人間的な悲しさ・寂しさの及ばない乾いた不条理な世界を垣間見せて、安易な人情に忍び寄られる危険性を回避している、と思ったがどうだろうか。私的な逸話を普遍的な物語に織り成していく力量の背後でギャグをつくるのに使われるのと同じ力も稼動している、と私は考える。
 ・・・目の前で語られるエピソードの鮮やかさに思わず「それって本当にあったことですか」と問い掛ける読者に、語り手はなんと答えるだろう。ニヤリと笑って「いや、本当のことですよ」と答える、そんな問答を妄想している。