談志を見てきた

談志を見てきました。

立川談志 家元の独断場 (2006/10/11 東京国際フォーラム

といってなにか書かなければイケナイということはナイが・・・

「これから、二時間、身体がもつとは思えない」「声が出ない」「会場が大きすぎる」「・・・こんなことを面白いだろうと思って言っているわけじゃないんだけど」そんな言い訳・状況説明・自問自答「ウォーミングアップが長くてゴメンね」で演者としての自分自身を苦境に追い詰めていき、そんな演者に応襲するかのように落語内人物が登場し、けれどもたちまち演者(談志)に分解されて・・・、こんな調子で果たして落語が成り立つか、というスリルに満ちた『浮世根問い』を、「声の出なくなったところに声を酷使するネタをもってくる」(などなど)で、切り抜け、盛り上げ、「・・・とこれが落ちになる」「落ちをいったらここにいる理由はない」で終わる、と思わせて舞台裾で鳴り始めた去り際の囃子を手で制して・・・「こんな声(になっちゃって)で、ワルイけど・・・、次、『居残り佐平次』やっていい?」で、ウワー、と・・・

って、字で書くとキザですが・・・

居残り佐平次』は、佐平次を、純粋加害者型キャラクターに「した方がいい」という判断と、その加害の動機が「特にナイ方がいい」という判断が「いい」けれど、それがハーポにグラウチョに比肩するか、というところで、今後の課題、という(”という”が多い)ところ・・・なんていうと偉そうで、聴いてるときは喜んでもいたが、まあ、いいじゃないか。
途中、佐平次が「千と千尋」に重なってみえた(「そうやって、こ奴、自分の、仕事というか、役割を、つかんだ」というあたり)そういう勝手な個人的な発見がないと面白くない。

あと、『浮世根問い』で「なんで言葉はできたんですか」に答えるところで出てきたギャグが面白かった。

談志は、青春の落語だと思う。
文明を否定しながら現代を気にするというのは、そういうことでしょう。